20178.30(WED) TOPICS

現在プロレス総合学院5期生募集中!学院卒業生にその魅力を聞きました―2期生・タナカ岩石編

現在プロレス総合学院5期生募集中!学院卒業生にその魅力を聞きました―2期生・タナカ岩石編

現在プロレス総合学院の5期生を募集している中、今までプロレス総合学院を経て卒業し、プロレスラーとして活躍している選手たちはなぜプロレス総合学院に入ったのか、その学院生活はどのようなものだったのか、また学院を経てプロレスラーとしてデビューした今の気持ちについて、今回は2期生・タナカ岩石選手(Pro-Wrestling ACE)に話を聞いた。

 

【以下選手インタビュー】

 

――2期生としてプロレス総合学院に入りましたが、きっかけは何だったのでしょうか?

 

タナカ岩石選手

「高校を卒業して専門学校に行ってたんです。その時に柔道やブラジリアン柔術をやっていたんですけど、ブラジリアン柔術にハマっていて。いろんな大会にもどんどん出てて、公表はしてないですけど、ミドル級で優勝したり無差別級で準優勝したりアメリカに練習に行ったり、すごいやっていて。世界を目指してたんですよ。周りの人たちも柔術自体まだ日本でメジャーではないので有名じゃないんですけど、お世話になった方たちが世界の舞台で活躍している人ばかりだったんです。ムンジアル(※国際ブラジリアン柔術連盟(IBJJF)が主催するブラジリアン柔術の世界選手権)で日本人で初めて2位になった方がいて、その方にも教わったりして。吉岡大さんという、去年亡くなってしまったんですけどその方の弟子の孫弟子にあたるんですよ。その方にも教わっていたので、柔術でも世界を目指したいと思っていたんですけど、柔術だけでは食べていけないので。何か仕事をやりながら柔術をやっていかなければいけないと考えてはいたんです。柔道を始めた、柔術を始めたきっかけというのがもともとプロレスラーに憧れていたからなんですが、どうしようかなと思っていた時に、たまたまWRESTLE-1のホームページを見てて、プロレス総合学院の2期生募集中というのをみたんで、その瞬間に昔から見ていたプロレスへの思いがブワーッと出てきて。これだと思ったんですね。チャンスは今しかないなぁと思って、年齢的にも当時22歳で、世間で言うと大学を卒業している年齢。今しかないだろうなと思って。柔術で世界を目指すという思いもあったんですけどプロレスラーが夢で、仕事としてやりたいという夢を叶えたい、これはチャンスだと思って応募したのがきっかけですね。」

 

――柔術のベースがあるなら、総合格闘技は考えなかったのですか?

 

タナカ岩石選手

「もちろん総合も観てたんですよ、プロレスといっしょに。知り合いの方にも格闘家の方がいっぱいいるんですけど、総合をやりたいとは思わなかったですね。やっぱり格闘家の方たちに失礼なんですけど、観ててプロレスのほうに魅力を感じてしまったんですよ」

 

――親御さんは反対しなかったのですか?

 

タナカ岩石選手

「父は猪木・馬場世代で、プロレスがずっと好きで観てた人だったので反対はしなかったですね。『夢があるならやれ』って。ただ母は大変でしたね。ホントに反対されました。僕の試合は一回も観たことないです。写真を見るのも嫌らしいです。一度僕がUWAのベルトを獲って家に持って帰ったんですよ。それが初めてです。僕のプロレス関連のものを初めて見たのがUWAのベルトなんです。それ以外一切見ないです。週プロでちょっと写真が出てても母は見ないです。怖くて見られないらしいです。試合は観たくないって言ってました。母は養護教諭、学校で保健の先生をやっているんですけど、教え子に全女かどこかの練習生がいたんですよ。その子が練習中倒れちゃって亡くなったんです。それで母はすごいショックを受けてしまったんです」

 

――プロレス総合学院の生活というのはいかがでしたか?

 

タナカ岩石選手

「アルバイトをしながら通っていましたね。仕事して仕事が終わったら、そのまま道場に来て練習してという感じですね。僕は2期生の中で一番できなかったんですよ。柔道とか柔術のベースがあるとはいえ、プロレスの世界に入ったら全然違うので、受け身ひとつからしても柔道とまったく違うので。最初の頃は受け身だけで、僕の中で壁になっちゃったんですよ。まわりをみてると、みんなどんどんできちゃってたんで、必死でしたね。とにかく練習についていくというか、もちろん基礎体力、腕立てをやったりスクワットをやったりというのも限界まで追い込むというのも必死だったんですけど、さらにそこからプロレスの技術を習得しなければいけないというのが必死でしたね」

 

――どんな先生の授業があったのですか?

 

タナカ岩石選手

「当時、僕の時に先生方が変わったんですよ。最初はKAIさん、AKIRAさんがいらして、おふたりが退団されたんで、途中から稲葉さん、児玉さんにお世話になっているんです。そのほかにもアンディーさん、近藤さん、林さん、芦野さんに教わっていましたね」

 

――基礎体力運動は柔道や柔術をやっていれば、きついとかはなかったのではないですか?

 

タナカ岩石選手

「そうですね!基礎体力運動をやったとしてもそれで終わりじゃないんで。それが準備運動みたいなもので、それが終わってやっと身体がほぐれてきたから本格的な練習に入ろうかというかたちだったので」

 

――基礎体力運動とはどういった事をやるのですか?

 

タナカ岩石選手

「僕たちの時は、入った初日の練習が近藤さんだったんですけど、シャトルランをやって、出来るまで腕立て伏せをやってゴールが見えないんですよ。出来るまでスクワットをやって、出来るまで腹筋をやって、終わったらバーベルを持ってクリーンやってクリーンやって、終わったらダッシュで上走って、ひたすらそういうのばかりだったんで、次の日みんな階段も上がれなかったですね。上り下りするだけでもしんどくて。そこから基礎体力やっていったんですけど、それでもスクワット500回やれとかジャンピングスクワット300回やれとか、どの選手がやったっていうのは言えないんですけど、2時間の練習が終わった後に、最後に残り15分余ったんで、ライオンプッシュアップを最後に200回やろうか、という日もありましたね」

 

――卒業の認定が貰えた時はどういうお気持ちでしたか?

 

タナカ岩石選手

「僕の時には、先に同期の進藤さんが卒業する前に公式でデビューして、同期のデニスと伊藤のふたりも一緒に後楽園でデビューしたので、おいてかれた感がすごかったですね。やっぱり自分はできないんだという。卒業認定がこのままだと受けられないなという焦りがずっとありましたね。特に最後の残り2ヶ月は。とにかく残り2ヶ月の日々は必死でしたね。」

 

――卒業したらどうしようと思っていましたか?

 

タナカ岩石選手

「実はWRESTLE-1の入門テストを受けようと思っていた時があって。でもその時柔術の試合で腕を怪我してしまっていたので、履歴書を書いていたんですけど出せなかったんです。これでは入門テスト受けられないと思って。なので、もともとWRESTLE-1で試合がしたかった、WRESTLE-1の選手になりたかったので、卒業したらそのままWRESTLE-1でやりたい気持ちでいました。それでACEが出来て、そこでやろうと」

 

――岩石選手はUWAの6人タッグベルトを獲得して、早い段階で後楽園ホールなどで試合をすることも多いのですが、プロレス総合学院に入ってよかったと思いますか?

 

タナカ岩石選手

「そうですね。まだ23年しか生きてないんですけど、僕の人生を振り返ってみると、これを目指したいという思いがあったとしても、違う形でいいようになっちゃうんですよ、毎回。例えば、柔道やっている時も柔術をやっている時もそうだったんですけど、何か目標が出来て、それに向かって進んだ時に予想してなかった感じで叶っちゃうことがあったんですよ。もちろん大変だったんですけど。今回UWAを獲ったというのも同じような形なんですよ。僕の中でプロレスラーになってまず、こうなりたい、こういう目標があるという中でUWAを獲ってしまったので、予想もしなかったチャンスが突然巡ってきて、という形で今に至るので、驚いてます。しかもこのまま文体に出られると考えていなかったので。1年前まで学院生として文体を見る立場だったのにまさか1年後にUWAのベルトを持ったまま文体の花道を歩くことになるとは思ってもみなかったです。プロレスラーになってもこういうふうになるんだなっていう、予想もしないような、いいようになっちゃってるのかなって思ってます。」

 

――現在プロレスラーとして仕事をしていますが、実感などいかがですか?

 

タナカ岩石選手

「まわりの知り合いや友人に久し振りに会った時の反応を見て実感するようになりましたね。久し振りに連絡を取った人に驚かれて『すごいね!』、『夢叶えたね!』、『今度観に行くよ!』って言われて実感しますね。今やっていることに毎日必死なので、まだデビューして1年経ってなくて必死になってやっていく中で、ふと友達から連絡がきて『プロレスラーすごいね!』って言われて改めて実感する日々です。あの時、入学を決意してよかったなと思いますね!」

 

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