20179.6(WED) TOPICS
現在プロレス総合学院5期生募集中!学院卒業生にその魅力を聞きました―1期生・一(はじめ)編
現在プロレス総合学院の5期生を募集している中、今までプロレス総合学院を経て卒業し、プロレスラーとして活躍している選手たちはなぜプロレス総合学院に入ったのか、その学院生活はどのようなものだったのか、また学院を経てプロレスラーとしてデビューした今の気持ちについて、今回は1期生・一(はじめ)選手(Pro-Wrestling ACE)に話を聞いた。
【以下選手インタビュー】
―ープロレス総合学院に入ろうと思ったきっかけは何ですか?
一選手
「きっかけは、お金を貯めてたんですよ。高校卒業して1回就職したんですけど、プロレスラーになりたいという思いがあって退職しまして、身体を鍛えながらバイトとかかけ持ちしてお金を貯めてて、そうしたらバイト先のおばちゃんにこういうのがあるみたいよって、武藤さんのヤフーニュースか何かの記事で学院ができるよって聞いて、40万円っていう値段で、貯めてたんで、全然あるわって思って」
―ー40万円も貯められてたのですか?
一選手
「80万円貯めてたんですよ、その時。」
―ー実家暮らしでしたか?
一選手
「大分で実家暮らしでした。そのくらいあればこっちで部屋借りていろいろ揃えてもまだ生活できるなって思って。自分で勝手に親に何も言わずに応募して、家も決めて、『決まったよ』って言って出てきた感じです。タイミングが良かったですね、ちょうど貯め始めてそろそろ100万円いくなぁみたいな時だったんで。それがきっかけですね!」
―ー仕事を辞めたのは本当にプロレスラーを目指してですか?
一選手
「大分トレーニングクラブっていう川沿いにあるところがあるんですけど、大分の人は見たことあると思うんですけど、緑の看板で、武藤さんも何回か行っているみたいで、そこの会長が小川さんっていうんですけど、写真を撮ったと語ってました。最初僕、50キロくらいで、ガリガリだったんですよ。どんどん鍛えていたらすぐ大きくなりましたね。」
―ープロレスラーになることを親御さんは反対しなかったんですか?
一選手
「自分で決めたことは全部やりたいという性格なので、相談も何もないですね。『やるよ』って。やりたいことがあるならすればいいよみたいな。けっこう家庭環境が複雑で、あまり良くないというか、いろいろとあったんですよ。それで、義務教育が終わって、自分のしたいことでのびのびできるならみたいな。それで全部自分で決めて、自分のお金で全部やってたんで、実家でしたけど、別に反対も何も、人の意見は関係ないですね。一応サッカーやってたんですけど、半径5メートル以上動かないんですよ。学校の体育とかもやる気がなくてしないし、運動会とか体育祭とか行事ごとが苦手で、協調性がなかったので、みんなで集まってわいわいするとか嫌なんですよ。でもプロレスはしたいなってあったんで学院はできましたね。人の話ですけど、頓所もコミュ障ですから。中卒なんで。中学もほとんど行ってなくて、修学旅行も行ってないんですよ。でも、人前でプロレスが出来てる。やりたいという気持ちだけですよ。」
―ー実際にプロレス総合学院に入校して、どんな日々だったのですか?
一選手
「深夜にバイトをしていたんですよ。自転車で毎日7キロ8キロくらい家からここまであるんですけど、それを往復していて。片道7キロくらいなんですけど。途中に深夜バイトしているところがあって、そこ行って、学院行ってプロレスして、9時に終わるじゃないですか、9時に終わって帰って10時くらいからそこでバイトで深夜、朝の5時か6時までやってという生活ですね。」
―ープロレス総合学院の授業というのはどのような感じなのですか?
一選手
「基礎体力運動が多かったですね。リングでロープワークとかはせず、受け身とか全然です。AKIRAさんがいて、AKIRAさんの演劇か何かの読ませられるやつ、やらせられるやつで、拳立てとかで、気合入れて演技しろとか、そういうのをやってましたね。声出しながら、1、2ってやってつぶれないように、つぶれたらまたつぶれんなって言われて、終わったらそこからスタートって言ってもらった資料か与えられた設定で何かしゃべるみたいな。パフォーマンスの一環だと思うんですけど。あと、アドリブ力とかつけるためみたいな。そういうのを一期生はやってましたね。」
―ー授業は朝から始まるのですか?
一選手
「19時から21時ですね。今もたぶんそうだと思います。深夜バイトして、朝帰って昼まで寝て、ジム行ってトレーニングしてこっちに来るみたいな。そういうのを半年やってましたね。」
―ー学院生活は大変でしたか?
一選手
「プロレスラーになれると思ったら全然平気でした。実際は始めてから1年半かかったんですけど。」
―ープロレス総合学院は半年で卒業ということになるんですか?
一選手
「そうですね!認定をもらえればそうですけど、僕は認定を貰えなかったんですよ。公表はしてないですけど、DDTさんのほうに1回行ってまして、本当にちょっとだけなんですけど。そこでACEができるから行ってみたらどうだって言われて戻ってきた感じなんですよね。不思議なACEの練習生みたいなのを半年やって、今年の4月にデビューしました。頓所、立花、木村花、才木玲花に1年遅れているんですよ。」
―ー1期生の卒業生はその4人ですか?
一選手
「そうです!あとはちらほらどこか団体に入ったけどみんな辞めましたね。卒業できなかった子たちが、僕はDDTさんのとこなんですけど、ひとりはNOAHさんに行ったりとか、ZERO-1に行ったやつとかもいて、あと666とか。もう全員辞めましたけど。でもまあ、そこまでのやつだった。学院の時も真面目にやっていたのは、頓所、立花。学院の時からレベルが全然違いましたね。」
―ーちなみにDDTはちゃんと入門テストみたいなものを受けたのですか?
一選手
「ちゃんと入門テストをやって、春日部大会、春日部ふれあいホールで、大会前に入門テストをやるっていって、僕寝坊したんですよ。やばいってなって、やばいって思って、その日、東京女子プロレスさんの人気女子レスラーの引退か何かの興行が午前か午後にやってて、延びちゃって助かった。それで入れて生き残りましたね。それがなかったらACEにもいなかったかもしれないです。
学院が終わって卒業できなくて、そのあとまだプロレスラーを諦めたくなくて、途中足を怪我しちゃって、10月頃までずっと左の靭帯がのびちゃって、右の土踏まずのところ全部折れちゃって、両足ギプス!その後ACEが出来て入れた。」
―ーどうして怪我したのですか?
一選手
「左足はトレーニングで重たいものを持ちながらスクワットしていたらバランスを崩してそのまま倒れちゃって!右足は、これもDDTなんですけど、リングでロープに足を引っ掛けて足を折っちゃって!」
―ー念願のプロレスラーという肩書きがついて、それでちゃんとお金が貰えているわけですが、いかがですか?
一選手
「お客さんの前で出来るというのは幸せですね。試合をしている時は痛かったり、苦しかったりするんですけど、途中で意識飛んじゃったりとか。でも楽しくてしょうがないですね。間違えたなぁとかあの時こうすれば良かったなぁとかあるんですけど、相手の動きも試合慣れしてないからか、やりたいようにやらせてあげられなかったりとか、相手の技もキレイに受けてあげられなかったりした時にこうすれば良かったとか後悔するんですけど、試合中は楽しい!」
―ー現在はACEの選手として、ACEやWRESTLE-1のリングに上がっていますが、どのようなお気持ちでしょうか?
一選手
「小さな団体でもいいので、今は試合の経験を積みたいですね。自分が本当にペーペーで何も出来ないので、他のやつらより何倍も経験を積まないと同じまでもっていけないし、抜かすことができないと思うんですよ。たぶん一番才能がないと思うんですよ。なので、やることは行動していくことだけかなと思いますね、人の何倍も!でも、みんなすごいやるんですよ。立花もこの間の後楽園のコメントで言っていたんですけど、ホントに毎日毎日みんな努力してやっているんで、それより努力するってホントに難しいんですよ。自分が全然できない平凡なのに、僕よりできる人たちが努力しちゃうから、全然同じ努力じゃ大変なんですよ。ホントに厳しい世界だなって思います。でも、試合やって怒られることもあるんですけど、試合中、今は楽しいです!」
―ープロレス総合学院に入って良かったですか?
一選手
「そうですね!僕みたいなやつでも諦めなければプロレスラーとして一応デビューはできる、ここからなんですけど。デビューからがスタートですね。学院は誰でも、女の子でもいいし、16歳から入れるところなのでホントに可能性が無限にあると思いますね。若いですね、自分も若いですけど。10代のやつとか普通にいるので。年齢の幅があっても仲間意識みたいなものができるんですよ。最初はみんなロープワークして背中が痛いところから始まるので、どれだけ歳が離れていても仲間意識がうまれて、環境はいいと思います。基礎体力運動とかもやったことがないことばかりするんですけど、辛くて、みんなで声出していくんですけど、なんかいいなって思います。将来プロレスをしなくてもためにはなるかなと思いますね。声を出してヒーヒー言いながら辛いことをする筋トレ的なことはなかなかやらないですからね!」
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